(初めに)
なぜ、熊野に人は参詣するのでしょうか?
京都より淀川を下り、大阪の天満橋に至ると、九十九王子の初にあたる窪津王子があり、阿倍野、藤代、切目王子などをぬけ、中辺路、本宮大社、那智大社、速玉大社と経ていくのが一般に言われる紀路です。他にも中辺路を通らず海沿いを通る大辺路、伊勢のほうより廻る伊勢路などもあります。単純に距離にしても300キロはあります。
平清盛や白河法皇、鳥羽上皇、後白河上皇・・・・。のみならず、蟻の熊野詣といわれるほど多くの人が、あらゆる艱難辛苦を排して熊野を目指しました。何か得るものがなければ、そんな苦労をして参る事もないのでは?と、つい考えてしまいます。やはり、平清盛のようにご利益はあったのでしょう。なぜ?あらゆる労苦をおかしてもやりとげる意思を持っていたからこそ、願いはかなったのではないでしょうか?
私たちは、今、車社会で、どのお寺や神社に参るにしても神前に乗り付けて手をあわせるだけではないでしょうか?
あらゆる労苦を排して、祈る。ということは、すなわち、決断力、実行力を養うということでは?と思ったのです。だから、昔の人は、熊野だけでなく、高野山にいったり、お遍路さんに行ったり出来たのだと思います。
と、あんまり、大げさに考えても仕方ないのですが、熊野古道を歩いてみると、清々しく、日常を忘れ、爽快な気分になってきます。そして、郷土の歴史にも触れることが出来ます。
そんなわけで、九十九王子を逆に那智山の方から、写真や感想も交えつつ、順に少しずつ、辿っていきたい。と思います。
よろしく、おつきあいいただければ幸いです |