市野々小学校の脇を通り抜けると直ぐに市野々王子があります。
私が子供のころは1月7日にお祭りがあって、
子供神輿を担がしてもらいました。
旧道沿いをなおも歩くと片袖地蔵、荷坂峠、尼将軍と続きます。
古道からは脇へそれますが、
妙法山はじめ、このあたりの山中には、いまも鉱山の跡が点在しています。
子供のころは、危ないといわれながら坑道?の跡にもぐったりしたものです。
今もあるのかなぁ。
 
【市野々王子】
旧道より、鳥居を見たところです。
  【市野々王子お社】

 
【郷倉跡】
柱を一本も使わない石積みの米倉。
那智山に貢する米を備蓄していたとされています。
全国的に見ても珍しい構造だとか?
  【片袖地蔵】
旧道沿いの通称魚の首と言われているところにあります。確か、昔、大地震があったときに、津波があり、海から程遠いこの場所に、魚の首がひっかかっていたので、魚の首というそうです。
片袖地蔵にも伝説があり、小学校のとき劇?をしたのですが内容忘れてしまいました・・・・。知っている方が居られましたら教えてください。
お願い致しますm(_ _)m。


 
【荷坂峠より那智谷を望む】
結構、家も増えましたが、子供のころは丁度、ここに、
霊園があり、夜自転車で走ると・・・・。
いかにも出そう!という雰囲気でした。
  【荷坂峠】
尼将軍に続く山道。

 
【尼将軍】
この隣に井戸があり、美味しい水が汲めたのですが
久しぶりに行ってみると水量が減っていて、残念でした。
  【尼将軍由来】
源頼朝の妻、政子のことで、我が子を殺した供養のために熊野三山を二度訪れ、その際、この地に供養塔を建立したということです。
 
【妙法鉱山跡1】
古くは平安時代から歴史があり、太平洋戦争前から
昭和40年代までが最盛期といわれています。
昭和47年に銅価暴落があり、閉山となった。
  【妙法鉱山跡2】
この建物はシックナーというそうです。
用途はわかりませんが、
現在はすっぽんの養殖に使われているそうです。